東日本大震災「全消協復興支援活動」
研究集会報告
2011年3月11日14時46分に発生した超巨大地震による災害は、地震による建物倒壊のみならず、大津波、原発事故など、東日本一帯に甚大な被害をもたらした。
そして、この震災により1万8446人の死者・行方不明者と、40万人以上の避難者が発生した大災害となった。
全消協は、今年度の「全消協消防職員研究集会」開催を中止し、東日本大震災で被害に遭われた方々のため、そして、自らが被災者でありながら被災地で救命活動を続ている全消協の仲間のため、復興支援活動を最優先事項と位置づけ行動することを決定した。
東北地方太平洋沖地震の災害対応について
全国消防職員協議会
会長 迫 大助
3月11日に発生した、マグニチュード9.0という国内観測史上最大の巨大地震によって、北海道から東日本の広範囲にわたって大きな被害がもたらされました。
津波に襲われた岩手県大槌町の消防署
全消協は、今回の大規模災害によって命を落とされた犠牲者の皆様に哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様に心からのお見舞いを申し上げます。
現在、全国の消防本部から緊急消防援助隊として、1,567隊のべ6,094人の消防職員が、少しでも多くの尊い命を救うため、約2万人と言われている行方不明者の捜索に全力をあげています。
また、福島第一原子力発電所事故においては、東京消防庁の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)が、自衛隊および警察とも連携して放水作業を行う準備を開始するなど、放射性物質のこれ以上の拡散を防ぐために、総力をかけて対策を講じています。
全消協は、市民の皆様が安心・安全に生活するための消防行政を担う者として、現地で活動している消防職員の仲間、連合や自治労などの労働組合の仲間とも連携し、厳しい避難生活を余儀なくされている被災者の皆様の生活再建に全力を挙げるとともに、国・自治体による今後の復興支援活動にも全面的に協力していきます。
全消協復興支援活動をスタート
5月7日、自治労の復興支援活動とともに行う「全消協復興支援活動」の第1陣が出発した。
被災地支援のために第1陣が出発
第1陣として出発したのは、四国ブロックから
【第1チーム】日本敏春さん(丸亀消協)、橋本憲さん(板野東部消協)、岡本大介さん(香美消協)、宮内達郎さん(四国ブロック幹事)
【第2チーム】泉谷清次さん(高松消協)、浦伸吾さん、秦康平さん(高知市消協)、正木慎一さん(三好消協)の各4人。
全消協の担当は「避難所の片付け」となり、まず第1チームが5月8日~10日の3日間、浪江町にて活動を開始した。高く積み上げられた布団や畳を20km離れた別の施設に運搬するなど、精力的に活動した。
第2チームは5月11日~14日までの4日間、第1チームの活動を引き継ぐ形で、残った畳の運搬などを行った。
○現地からの声○
「非常に大量の布団などを片付け、運搬しなくてはならず大変ではあるが、被災された人たちが1ヶ月以上もこの避難所(体育館)で生活することを余議なくされていたことを考えれば、大変でも何でもない。消防職員としての任務とは違う支援活動であり戸惑うこともあるが、全消協全体で被災地や被災された人たち、被災された同じ消防職員のために何ができるか考えて活動していきたい」
大量の布団や畳が山積みとなっている
全消協は震災発生当初から、会員が緊急消防援助隊として現地活動を行うなど、消防職員としての任務にあたってきた。だが全消協会員の「緊急消防援助隊の活動だけではなく、消防職員として、全消協会員として、そして一市民として、被災地のためにできることをしたい」との思いから、今回の活動を開始することとなった。また全国的なカンパを行うなど、消防職員の仲間のための活動も同時に行っており、今後も1万3000人の力を結集し、被災地支援に取り組んでいく。
活動報告第1陣
復興支援活動活動報告
全消協復興支援活動として、現地活動を行った第1陣より報告がありましたので、掲載いたします。また、自治労福島県本部機関紙に、全消協復興支援活動の様子が掲載されました。
香川県消防職員協議会
会長 日本 敏春
全消協復興支援活動第1陣として、四国ブロックより4人で参加した。
初日は東京駅に集合し、バスでベースキャンプに移動したのち、全体会議を行った。その後作業グループごとに分かれて活動内容について説明を受けた。私たち全消協の担当は、避難所にある物資の輸送・梱包となり、全消協の4人で深夜まで翌日からの準備を話し合った。
翌日からは本格的な作業に入り、福島県浪江町東和避難所において、物資の輸送および梱包作業を行った。体育館内には、山積みにされた大量の古い毛布や(古い毛布にはダニがいてバルサンで駆除しなくてはならない位のもの)箱積にされている支援物資そして古い畳があり、それらを梱包し20km離れた別の保管場所に2tトラックで輸送、保管する作業を繰り返し行った。
大量の毛布等を梱包する支援活動参加者
確かにこういった作業は大変であるし、復興支援活動への参加を考えている会員の方々は、災害現場での活動を想定していると思う。だが、現地の方の要望を受け、その要望に最大限答えてあげることが必要とされているし、実際に現地では今回の活動に対して、「本当にありがとう」との言葉をかけていただけた。私は、このような作業も地域の復興に寄与しており、本当に大事な活動だと実感することができた。参加できたこと、そして現地でお世話になって方々に本当に感謝している。
活動報告第2陣(第6グループ)が活動開始
全消協復興支援活動第2陣(第6グループ)が15日より活動を開始した。
第2陣第1チームは、九州ブロックより堺利彦さん(大牟田消防改善推進委)、柳田継司さん(熊毛消協)、白間候生さん(指宿消協)、中村良太さん(竹田消協)の4人。
第6グループも引き続いて「避難所の片付け」を行っており、1日作業を行うと汗だくになるほどの活動量になっている。しかし支援者からは「初めての体験だが、被災された方々のために少しでも役に立てれば」との声が聞かれるなど、第5グループ支援者と同様に精力的に活動を行っている。
○迫会長コメント○
東日本大震災では広範囲に被害が及んでおり、復興までは相当な時間がかかる。今回の全消協復興支援活動には少数しか行くことができないため、一つの活動自体は小さなものかもしれない。だが全消協会員ひとりひとりが、ほんの少しずつの支援の気持ち、現地を思いやる気持ちを持って活動すれば、1万3000人分の大きな力となる。今後も全消協全体での支援活動への協力をお願いしたい。
月刊連合に消防職員の救援活動が掲載される
東日本大震災で震度7を記録した、宮城県栗原市の「栗原市消防職員協議会」の活動が、月刊連合6月号に紹介された。
栗原市消協からは石川正紀さん(全消協事務局次長)、鈴木達也さんが取材を受けた。
初動から現地での救援活動に入るまでや、目で見た惨状、消防職員としての思い、そして現場での厳しさと悲しさが語られている。
また、凄惨な現場を見ている消防職員だからこその、メンタルケアの大切さについても訴えている。
瓦礫の山を懸命に捜索する消防の仲間
石川正紀事務局次長は「全国から緊急消防援助隊として駆けつけてくれた仲間の消防職員にも同じことが言え、この現状を消防職員ではなく、連合の組合員にも知ってもらいたい」と述べた。
全消協は今後のメンタルヘルス対策のために、緊急消防援助隊として現場活動にあたった職員に対しアンケートを行い、今後の対策につなげていく。
第6G第1チーム報告
5月14日から18日までの5日間、福島県二本松市浪江町救援物資本部にて、地震および原子力発電所事故により避難した住民に対する救援物資の配布や、各避難所への運搬活動、避難所の清掃活動などを行った。私が支援活動を行った福島県二本松市は、地震の津波によって家屋を失った住民や原子力発電所事故による放射能汚染から避難した浪江町の支援活動であった。派遣時期が震災から2ヶ月あまりであり、仮設住宅もできておらず学校の体育館で生活している人が大多数であった。そのため、十分な睡眠ができずに疲労している状況が見てとれた。また着の身着のままの避難した状況で、身の回り品を持ち出せなかったり、預金通帳や現金が無い状態であるため、避難所の役割はたいへん重要であることが同時に感じたことであった。
東北とはいえ徐々に気温が高くなる季節のため、避難所の衛生環境が今後問題になるのではないかと感じたし、現に避難所の布団にはダニが発生している状況であった。だがそのような状況下でも、避難所の運営を担当している浪江町の役場職員も自らが被災しているにもかかわらず、精力的に復興活動をしている姿には心を打たれるとともに力強さを感じられ、本当に頭が下がる思いであった。
今回の支援活動を通じて、今後さらに長期的な支援活動が必要であると感じた。再度支援要請があれば当単協から会員を派遣したいと思う。
最後に一日も早い復興をお祈りするとともに、これからも東北を応援していきたいと思う。
竹田市消防職員協議会
中村 良太
第7G第1チーム報告
全消協復興支援活動で福島県において活動した、第7グループ第1チーム(四国ブロック4人)から報告が来ましたので、掲載いたします。
(5月21日)1日目 引き継ぎ会議
第7グループ第1チームとして、復興支援活動を行う四国ブロック4人が福島市に到着し顔を合わせた。到着後自治労支援者を含めた全体ミーティング行い、その後第6グループから詳細な引き継ぎを受け、初日の活動を終えた。
(5月22日)2日目 活動開始
7:30にホテルを出発し活動場所へと向かう。全消協支援者は二本松市東和避難所の片付けとなった。前グループからの引き継ぎに基づいて作業を行い、同市建設技術学校に物資を移動したのち、16:00頃作業が終了した。その後、送迎をしていただいている福島県本部の鈴木氏の案内で、津波被害の大きかった相馬市を視察した、あまりの甚大な被害に言葉も出なかった。
(5月23日)3日目の活動
7:20にホテルを出発し、作業場所となる二本松市建設技術学校に向かう。本日の作業は昨日搬入した支援物資の整理である。
岡山から到着した4トン車3台分の支援物資を整理するのだが、普段とは違う活動であり体力的にも非常に大変であった。だが高知県からの支援者2人が若い力を存分に発揮し大活躍してくれたおかげで、作業もスムーズに進ませることができた。
本日の作業は、被災された浪江町職員と町民(消防団の方)、そして東京電力の協力職員の方と協力して行った。作業の合間には震災当時の状況などをお聞きすることができたのだが、とても想像できるような事ではなく自然と涙がこぼれた。だが、被災された方から「話を聞いた消防職員であるあなたたちが、防災に役立てるためにフィードバックすることが必要なのだ」との言葉をいただき、改めて消防職員の責任の重さを痛感した。
(5月24日)4日目の活動
8:00にホテルを出発し、避難所(福島市湯野地区体育館)の片づけに向かう。いきなり「熊に注意」との看板があり驚いたが、熊には負けない気持ちで活動に臨んだ。
この日の作業は、衣類を処分場に搬入し、使用済寝具を処分場に運ぶために梱包することであった。大量だったため体力的にもきつかったが、衣類はほぼ処分場に搬入でき、使用済寝具は約半分を搬入できる状態にすることができた。
ただ、たくさんの未使用毛布もあり、まだ他に活用できる所があるのではないかとの思いもあった。大災害時では必要物品の需要と供給がアンバランスになってしまうことを、改めて感じた1日であった。
17時まで作業を行い、19時から次チームの中国・近畿ブロックに引き継ぎを行い、第1チームとしての活動を終えた。
・今回の復興支援活動に参加して
消防職員として、また自治体職員としてこの活動に参加でき「非常に良かった」というのが率直な感想だ。作業内容も消防職員にとってはやりやすく、被災者の方とともに協力して作業をしながら、地震時の感想やその後の避難所での生活状況や今の気持ちを聞くことができ、感慨深いものがあった。津波被災が大きかった地域も視察することができたが、テレビや写真と違い、自身の肉眼でその凄まじさを目の当たりにしたことで、消防職員として災害に対する危機感が非常に高まった。
完全復興まではまだまだ時間がかかると思うが、今後も全消協・自治労で復興支援活動を続けてほしいのと同時に、全員が「自分たちにできることをやろう」との想いを持った5日間であった。
四国ブロック
丸亀市消防職員協議会 池口 雄二
美馬西部消防職員協議会 田中 直也
高知市消防職員協議会 岡 英佑
高知市消防職員協議会 竹内 大史
第7G第2チーム報告
第7グループ第2チームは、5月24日に福島BC到着。編成は中国ブロック4人と近畿ブロック2人の計6人のチーム。到着後,四国ブロックチームより支援活動報告ならびに引き継ぎを受けた。
我々のチームは,福島県二本松市にある浪江町民の避難施設東和支所での支援活動を行う予定であった。しかしながら,支援活動の進捗状況から急遽,福島市内での活動を行うことを福島市災害対策本部から要請され継続業務を行うこととなった。
まず,福島市信夫ヶ丘競技場に保管されていた災害支援物資の仕分け,搬出を行った。翌日から開催される中学陸上競技会開催に支障があるためとのことであり,段ボール箱に梱包された寝具類200個を2トントラック2台により福島市勤労者青少年ホーム,福島市音楽堂へ移動させた。
また,福島市勤労者青少年ホームに備蓄されている生活物資(米・飲料水・食料品等)を福島市笹谷東部応急仮設住宅に搬出を行った。新築されたばかりの仮設住宅では民間ボランティアの方が多く活動されており,入居される方と協力し笑顔で対応されていたのが印象的であった。
翌日も支援物資の搬出,整理を主な業務として行った。福島市国体記念体育館には全国から提供された自転車が保管してあり,交通の便が悪い避難所で生活されている方に届けているとのことであった。我々も福島市笹谷東部応急仮設住宅に自転車を届けるためトラック2台に50台の自転車の積み込み運搬を行った。
27日からは福島市湯野地区体育館に移動保管されていた使用済みの衣類や寝具類等を焼却処分するための分別作業を行った。体育館内には数千枚もの毛布が集積しており,クリーニングし再利用できるものと汚れなどにより焼却処分しなければならないものとに分別する作業が困難を極めた。まずホコリとダニとの戦いである。ホコリは作業中に飛散するためマスクの着用が不可欠。はじめは一般的なサージカルマスクを使用し作業を行う予定であったがホコリの量と体育館内の放射線量がガイガーカウンターで300μシーベルトと高値であったためN95マスクを使用し作業を行った。
ダニについては,近くのドラッグストアーでダニ除けスプレーを多量に購入。作業2時間おきに休憩を取り,お互いに全身にスプレーを吹きかけ作業を行った。体育館の換気にも努め,放射線濃度は低下した。作業中に体調不良を訴える者もおらず,作業終了時にも報告はなかった。
翌28日には,焼却する寝具類,特に多量の毛布を2トントラック2台に積載し片道約30分かかる福島市あらかわクリーンセンターへ搬入した。前日同様,N95マスクを使用しダニ除けスプレーを全身に吹きかけ作業を行った。延べトラック7台分の寝具類を焼却処分。焼却した寝具類の総重量は約8トンであった。予定されていた福島市内での支援活動は終了。福島市災害対策本部に業務終了報告を行った。
○復興支援活動を経験して
今回の活動を通して,活動した者がそれぞれ多くのものを学んだと思います。若い職員,中堅の職員で構成されたチームとして,それぞれの立場で感じたものに違いがあるものの,消防業務以外で被災地に赴き,後方支援を行うという今までにない経験をしたことにより今後の行政職員として行わなければならない被災住民の立場に立った復興支援活動の大切さを身に染みて感じました。災害の規模からして,中長期的な復興支援は絶対不可欠であり今後も継続した支援活動を行わなければならないと思います。被災地,被災住民に対し金銭的な支援は絶対に必要ですが,マンパワーはそれ以上に必要であると感じました。
報告者 福山消防職員親和会 岩本 展政
福山消防職員親和会 久安 誠
福山消防職員親和会 赤木 宣彦
福山消防職員親和会 漆原 和也
四条畷市消防行政研究会 安達 大祐
四条畷市消防行政研究会 小島 教広
第8G第1チーム報告①
東日本大震災復興支援活動として全消協の支援活動地である福島県へ第8グループ第1チームの一員として、5月28日から6月1日の期間参加させていただいた。
自治労および全消協のベースキャンプ福島グリーンパレスへ5月28日に到着。今回の全消協メンバーは九州ブロックが担当で、私たち全消協の活動地域は東京電力福島第一原子力発電所の隣接町である浪江町役場の支援活動で、役場機能や住民の方々の避難地域になっている福島県二本松市にある支援物資保管所(旧県建設技術学院)での活動であった。全国各地から福島入りした自治労の支援活動メンバー82人と私たち全消協のメンバー4人(大牟田市消防推進委員会、江口さん・鳥栖三養基消協、江頭さん・那覇消協、津波古さん)総勢86名で17時30分から全体説明会、活動地域単位の説明会を受け、5月29日から5月31日までの期間活動を行った。
活動地へは午前7時30分にベースキャンプを出発し、自治労OBで浪江町出身の鈴木さんの送迎により約1時間をかけ目的地二本松市へ向かう。
活動初日の出発前見送りの第7と第8グループ全員
到着後、浪江町役場職員の方から一日の作業日程の説明を受け、役場職員の方や毎日交代で作業にこられる浪江町住民の4、5人の方々と午前8時30分から午後5時00分まで活動を行った。
今回の私たちの活動内容は、保管所内にある全国および海外から届けられた支援物資を浪江町住民の方々の避難所約20ヶ所の人数ごとに仕分け梱包し、避難所から要望があった物資の運搬、別の物資保管所から私たちの作業保管所への物資運搬等が主な活動であった。
私たちと一緒に作業をされた役場職員の方や住民の方々も、地震、津波により家屋を流され、そして原発事故により家族と離ればなれの避難生活をされている方々で、みなさんから震災当時の話を聞かせていただき、そして復興に向けて一生懸命頑張っておられる姿に接し、何と言葉のかけてよいものかとの気持ちになり、私たちの支援活動は短い期間で被災された方々のご苦労に比べたら微々たるものではあったが、浪江町の皆様方の一日も早い復興を願いつつ、6月1日から第2チームへ引継ぎ活動を終了した。
最終活動日の5月31日には、送迎をしていただいた鈴木さんの好意により地震、津波の被災地へ案内していただき「被災地を見ていって九州の方々に津波の怖さを伝えてください」との言葉が印象的であった。
今回仕分けした衣類の救援物資
黙々と仕分け作業中
浪江町の方々も一緒に作業
運搬に使用した給食配送車
天草消防行政研究会
下門 和弘
第8G第1チーム報告②
復興支援活動に参加が決定した時から、休暇の取得や出発準備、チケット手配等何かと慌ただしくも第8グループ第1チームとして活動させて頂くことができた。私が行った活動内容としては、福島第一原発の事故により避難を強いられた浪江町住民の方々の、支援物資を仕分けするというのが主な業務であった。
支援場所(二本松市)で一番驚いたことは、震災から3ヶ月近く経過しているにも関わらず、停電、断水状態だったということであり、被害状態の甚大さを物語っていると感じることができた。活動メンバーは浪江町職員、全消協、松戸市清掃組合、東北電力、東京電力で構成され、さすがに最初は東電の方との会話に苦労したが、その後は活動しながら会話することができた。
活動最終日の午後から、浪江町職員の方のご厚意により相馬市、南相馬市の津
波被害状況を視察させて頂くことができた。現地を見た時、言葉を失うとはこのことなのかと思い知らされた。見るも無残な津波跡と至る所に点在する漁船の数々、がれき撤去はある程度進んではいるものの、まだ充分とは言えない状況がそこにあった。それでも地元住民の方たちは復興に向けて地道に頑張っておられるように私の目には見えた。だからこそこれ以上「がんばって下さい」とは言えなかったのが正直なところである。
「百聞は一見にしかず」ということわざがあるが、今回この復興支援活動に参加させてもらえたことで、自分自身で体験することができたことは一生の宝であると感じている。現在も現地の厳しい状況は変わっていないが、今後も継続的に支援を行うことがなにより重要だと思う事ができたし、今回の経験を今後の消協活動およびこれからの人生に生かしていきたいと感じることのできた活動であった。
鳥栖・三養基地区消防職員協議会
江頭 哲弥
第8G第2チーム報告①
第8グループ第2チームは、九州ブロックからの4名(佐賀・熊本・沖縄・大分)のチームで5月31日に福島ベースキャンプに到着した。到着後、前任の第1チームより活動内容及び注意事項等の引き継ぎを受けた。
我々の活動内容は福島県二本松市にて、避難されている浪江町の方々への支援物資の積み降ろし、運搬及び仕分けだった。現場では我々全消協のメンバーだけではなく、神奈川県からの2人および、東京電力職員、浪江町役場の方、浪江町からのボランティアの方々との合同作業となった。普段の生活では見る事は無いであろう凄まじい量の米・水・カップ麺等々を見る事になった。
今回の活動で感じた事は津波の凄まじさ、恐怖は当然事ながら、見えない放射能の影響で、便利な生活の裏には多大なるリスクが伴っている事、一旦事故が起こってしまうと取り返しがつかない事態になってしまう事だ。それともう一つ、自治労の組織力を改めて実感した。被災三県に人員を投入し管理出来る組織は全国的に見てもそうは無いと思う。今回の作業は普段の消防業務とは全く違う内容であり、表現は悪いかもしれないが、行政職員の方々との仕事のやり方についてのギャップも感じた。しかし、それは日頃の業務の違いからと捉え、その弱点を全消協が補えば更に良い活動が出来る組織になると、私は思う。そして、その力を使って更なる長期的な支援活動を行っていかなければならないと感じた復興支援活動であった。
佐伯市消防職員協議会
岡 大介
第8G第2チーム報告②
5月31日
私は復興支援活動で福島県に入った。3月11日の東北地方太平洋沖地震以来、ニュースで「福島」の言葉を聞かない日はない。
写真は福島駅から見た福島市内である。津波被害と原発事故で地震による影響はそんなに伝えられていないが、ここも震度5の大きな揺れがあり、被災地なのである。しかし3ヶ月近く経過していることもあり、大きな被害があったようには見えない。街中は普段通りの生活をし、学校に行き会社に行き、普通にコンビニに商品があって笑顔があった。
ベースキャンプに到着した日は、九州ブロック(大分・佐賀・熊本)の方と顔合わせを行い、前任者から引継ぎと注意事項を確認し終了した。私たちは津波被害と原発被害のあった浪江町の方々が避難されている場所で活動するよう指示を受けた。
6月1日
初日は9時から活動開始した。写真は私たちが活動拠点にする二本松市内の建設技術学院(今は使われていない専門学校)である。
中はすべて支援物資であり、この支援物資をほかの倉庫からこの場所へ移動するということが主な活動内容であった。物資としては米(10キロ)・水・ジュース・飴・缶詰である。
この活動には東京電力職員の人も参加されており、業務命令とはいえ被災者でありながら原発のこともあり、とても肩身が狭そうに作業していた。現地の人もとても厳しい目で東京電力の方をみていたのは事実であるが、その中でも必死に積極的に住民のために作業をしていたのはとても印象的であった。
午後からは二本松市の現在廃校の針道小学校に行くことができた。ここでは浪江町の津波で流された遺留品や写真等を洗って、被災者に返すという作業をしていた。全て手作業で時間と労力が非常にかかる作業であるが、支援者は「被災者のために」と頑張っていた。
写真を見ていただければわかるが、言葉もでない。現実を目の当たりにし、胸が苦しかったとだけ報告させていただく。
6月3日
午後から津波被害のあった「南相馬市」に連れていっていただいた。途中で美味しいとんかつ屋さんがあり、良い気分転換になった。
このとんかつ屋は海岸から6キロ地点であり、目立った被害はなかった。目立つのは自衛隊の車両やトラックぐらいだったが、それを見るだけでも現場が近いこ とを感じることができた。
そして海岸から4km地点で「ここを曲がったら被害状況が分かるよ」とドライバーさんに言われ、曲がると異様な光景が広がってお り、震災当日リアルタイムで映像を見ていたが、実際に現地に行くと全く雰囲気が違い、津波にこれほどの力があることに愕然とする他なかった。
ここには民家と田んぼがあった場所
空想世界にいるようだった
これが南相馬市の現実だと思い知らされた。多くの物が流され、多くの人が流され、そして多くの涙が流れた場所だということを。マグニチュード9.0の大地震、数十メートルの津波、原発事故。人間として日本人として、そして消防職員としてこの災害を決して忘れてはいけないと心の底から感じた。
この復興支援活動を通して一番感じたことは人とのつながりだ。住民・消防団・役場・社協・警察・海保・病院・赤十字社・医師会、名前を挙げればきりがないが、みんなつながっている。お互いに助け合っていかなければ生命・身体・財産を守ることができないと改めて痛感させられる活動であった。今後消防として、防災マップの見直しや警防計画の見直し、防災訓練の充実、行政と企業との支援協定の確認など、私たち一人一人が何をすればいいのか今一度考えるきっかけを与えられたのだと感じた。
1995年の阪神・淡路大震災から16年、その教訓から緊急消防援助隊が構築された。私の住んでいる沖縄県は360度海に面しており、隣接する県がない。地震があり、十数メートルの津波が襲えば仙台空港のように那覇空港は使えなくなり、船から緊急援助隊が来るのも、余震とさらなる津波の影響で生存限界の目安となる72時間以内に到着するのは困難を極めるだろう。地域の実情に合わせたシステムがづくりが急務であり、それらを協議会から発信してもいいのではないのかと考えさせられる復興支援活動であった
島尻消防職員協議会
瑞慶覧 長太
第8G第2チーム報告③
5月28日から6月5日の日程で第8グループ第2チームとして参加した。支援活動場所は福島市の二本松市で、物資搬入と仕分け等が主な活動となった。
現地での活動は浪江村の役場職員が主体となり、同じく被災された消防団の方々と自治労(千葉の清掃)、全消協(九州ブロック4人)に東京電力より2人の方がボランティア活動に参加されていたが、活動当初は構成メンバーの複雑さに会話もあまり無く、東電の若い職員の方は委縮し、重い空気が漂っていた。食事を取る時も部屋の隅で取る状態で、これでは意味が無いと思い「同じ活動をしているのだから、胸張って元気な活動をしよう」と声を掛けることにした。それがあったからではないだろうが、今までの状態とは180度変わり、みんな笑顔での活動になったことは、胸にぐっとくるものがあり、一筋の光が差したように感じることができた。私は、この活動をさせていただく以上、謙虚な姿勢を持ちつつも、自らが暗くては意味がない、ましてや被災者の方々に何も与える事が出来ないと考えており「常に顔を上げ、前を向く」ことを被災地で、そして温かいものを学ばせていただいたような気がした。
明るくなった活動環境も後押しをし、連日の力仕事もなんのその、1日があっという間に流れる中、今回の活動中での最大の出来事が起こった。同ホテルの同フロアーに南相馬市より9世帯程の被災者が避難されており、偶然にも次の避難所への異動の為、お別れ会をされていた場面に出くわし、ここはいくしかないと日頃消防で培ったコミュニケーション等を武器にいざ一歩を踏み出した。そんな我々を快く迎えてくださった南相馬市の方々と酒を酌み交わし、さまざまな話を聞かせて頂いた中、報道されている情報は当たり障りのない報道で真実では無い事、また原発の影響により帰宅も許されず、ましてや自宅が現存する為、他県や避難所等への移住が出来ない、何ともやり場のない心境であること、そして今ではやっと報道等にも取り上げられるようになった現実をお聞きすることができた。また自ら命を絶ちたいと、避難民の老夫婦が話されていた事など、当初よりあった悲しい現実を目の当たりにし、非常に心が痛かったのが印象に残っている。1日先が見えない状態での生活、不安や絶望感、明日への希望が見いだせない状況下で懸命に声を上げ、自ら道を切り開こうとされている姿には、かける言葉が見つからなかった。
我々に出来る事は様々だが、まずは震災からしっかりと学ぶ事、阪神淡路大震災等があったにも関わらず、まだ学べていない現実、人として消防官として、我々は次に繋げなければならない。多くの尊い命が失われた事を無駄にすることなく、消協活動を通じ、全国の消防官が真の消防活動が出来るよう、我々も声を上げ続けなければならない。
最後に、復興支援活動への参加を後押しして下さった各関係機関に感謝すると共に、震災で亡くなられた方々のご冥福と、1日も早い復興をお祈り申し上げさせていただき、私の感想とさせていただく。
宇城消防職員協議会
福嶋 祐貴
第9G第1チーム報告
全消協ボランティアが5月7日から6月5日までの活動スケジュールで始まったため、私自身も参加したかったが、ブロック内の参加希望者が多数いたため今回参加は諦めていた。しかし名称を「全消協復興支援活動」と統一され、活動を7月10日まで延長する通知を受け、すぐに参加表明して今回の支援活動に参加することができた。
前任者の活動報告等を読み、自分なりに気持ちを整理させて、四国ブロックから2人で参加した。
6月4日17:00までに福島BCに到着し、支援活動の概要と注意事項等について参加者全員に説明会が開催され、緊張の中自分たちの支援内容を確認した。その後、活動を終えた九州ブロックの参加者からの申し送りを受け、ますます緊張が高まる中、翌日の6月5日から活動を開始した。
活動場所は福島県二本松市建設技術学院を拠点とし、復興支援活動へ協力していただいている、郡山の宅配・運送業者さんの倉庫の中で保管させてもらっている全国から届いた支援物資の整理・仕分け作業を繰り返し行った。
前任者たちのコメントにもあるが、消防職員として災害現場での活動内容ではない作業の繰り返しであるが、現地の方々からの要望であり、この作業を行うことによって、被災された方々の元へ仕分けされた支援物資が届き喜んでいただけることを思い、活動に専念できた。
短期間の活動であったが、この活動に参加できたこと、そして現地でお世話になった方々に本当に感謝している。
まだまだ見えてきていない支援活動が山積みであると思うので、今後も様々な形で支援できる体制づくりが必要であると痛感した。
愛媛県消防職員協議会
井戸 章夫
第9G第2チーム報告
全消協復興支援活動に、四国ブロック・香川県消協より自治労復興支援第9グループ第2チームの一員として6月7日から6月12日までの六日間の日程で参加させてもらった。
福島市のホテル福島グリーンパレスをベースキャンプとして、全国から送られてきた支援物資(主に食料品)を仕分けして、震災及び原発事故によって県内外で避難生活を強いられている、浪江町の町民全世帯にその支援物資を配送することであった。
福島市から車で1時間程走った郡山市にある大手宅急便(クロネコヤマト)の配送センター内にある集積倉庫が主な作業場所であった。そこでの活動メンバーは20名程で浪江町職員・町民、東京電力・東北電力関係職員、自治労関係職員等の様々なそして色々な事情がある面々であった。浪江町の人は、もちろん被災者の方々である。
活動初日の6月8日、初めて集積倉庫に入った時に驚いたのは、支援物資の量の凄さであった。しかし、これからまだまだ送られて来ると言う話を聞いて更に驚いたが、全国各地の色々な人々の支援の気持ちを実際に体感出来て大変嬉しく思えた。
自分達の作業は、決められた数の支援物資(米・水・レトルト商品・カップめん等)を段ボール箱に入れて梱包するという単純な作業であったので、体力的には問題ないと安易に考えていた。しかし6月初旬の東北福島県とは思われぬ気温(東北は涼しいと思っていた。)と無風状態の倉庫内での作業は、正直きつかった。
前日の第1チームからの引き継ぎで、「始めは様子を見ながら、あんまり無理しないように。」と言われていたのにもかかわらず、ペースが分からずガムシャラにしていたと思う。休憩時間の時に浪江町の方々から「初日だからって、頑張り過ぎないで下さいね。」とやさしく言われた。自分の気持ちを見抜かれていた。でも「ほっ」とした。みなさん気さくで、優しく、温かい、そして前向きだ。
最初自分は変に意識して、震災・原発被害の話題を避けていたようであった。しかし浪江町のみんなは自然にその話をしてくれた、「凄い揺れだった」「海が山のようになって、押し寄せてきた」「原発事故の時、一番危険な避難所に居たから被ばくしてるかも」とか、私の想像を絶する話を聞かせてもらった。その中でも「みんな一人ひとり伝えたいことがいっぱいあるんだよね。」と言った言葉が印象的だった。被災された方の話を聴くことも、大切なことだと気付いた。
支援スタッフの好意で津波被害の大きかった地区の視察にも行くことが出来た。今まで見たことのない悲惨な光景が目の前にあった。地元スタッフから「ここは震災当時に比べると、かなり片付いていますよ。」と言われ「えっ、これで?」と思った。マスコミ報道等で様々な映像を見聞きしているが、やはり実際にその現場に行かなくては伝わらないことがあるのを実感した。
この活動で出会った浪江町の人達、みんな「前」を向いていた。この先のことを考えると不安だと言いながら絶対に諦めていない「強い、東北魂」を感じた。復興支援に行ったのに逆に励まされ勇気づけられていた。「ありがとう、浪江町のみなさん。」「がんばれ、福島」
震災直後から何かしたいと思いながら何も出来ないでいた自分に、今回この支援活動へ参加する機会を与えてもらった自治労及び全消協の関係者の皆様、そして快く送り出してくれた職場のみんなに本当に感謝している。
完全復興への道のりは険しく、まだ始まったばかりである。まだまだ色々な支援が必要である。「遠く離れた地に居ても、自分たちに何が出来るかを考えて、出来ることをしていこう」とみんなに伝えたいと思いながら帰路に就いた。
小豆地区消防職員協議会
会 長 田村 晃也
第10G第2チーム報告
3月11日に発生した東日本大震災における復興支援活動のため、6月14日~6月19日までの間、九州ブロックとして福島県(福島市)に派遣させて頂いた。
活動内容は、福島県浪江町の避難者に対する支援物資の整理運搬業務(ヤマト運輸の倉庫にて支援物資の整理)であった。浪江町役場職員の補助として、全消協、自治労(千葉県本部)、東京電力、東北電力、計16人で活動した。基本的に倉庫内での活動で、避難所等で住民と接する機会はなかったが、一緒に活動しているメンバーから当時の状況や、現在も続く原発問題等の話を聞くことができた。テレビでは伝えられていない被害状況や、先が見えない不安、山積みにされた問題が、今もなお増え続けているような感じを受けた。今の私たちでは、この現状をどうすることもできないかもしれないが、一人一人が自分のできることを考え、今回の大震災を教訓に、万が一の備えを怠ることなく生活していくことが大事だと、支援活動を通じて再確認することができた。
また、活動終了後、自治労関係者のご好意により、車で片道3時間かかる場所にある津波被害地域(南相馬市近郊)に行くことができた。予想はしていたが、360度見渡す限りの泥(震災前は田んぼ)、道路上に残された船を目の当たりにした時は、声も出せずにただ呆然としてしまったのが本音だ。案内してくれた方が「消防職員として自分の目で被災地を見てほしい、この状況を地域住民や同僚に伝えて下さい。地震や津波が発生しても被害が最小限で止まるように最善を尽くし、東日本大震災の教訓を無駄にせず、風化させないで下さい」と話してくれたのが、今でも心に響いている。
今回は復興支援活動として参加したが、消防職員としてのこれからの自分の役割を考えさせられる、貴重な経験とすることができた。
最後にこのような機会を与えて頂いた、沖縄県消協の会員の皆様と職場に感謝申し上げたい。
東部消防職員共済会
大城 康秀
第11G第1チーム報告
自治労『復興支援活動』に参加しました。
6月18日から22日までの間、第11グループ・第1チームとして参加(東京電力の職員も参加していました)、ホテル福島グリーンパレスをベースキャンプとし、活動内容は郡山市内の運送会社倉庫で浪江町の支援物資整理運搬を実施した。単純作業でしたが被災地の復興を祈りながらの作業を行いました。
※ 第10グループ・第2チームとの引き継ぎ(写真左から大牟田消協の永見さん、渡辺、今井、沖縄県東部消協の大城さん)
※ 第11グループ・第2チームとの引き継ぎ(写真左からマイクロバスで我々の輸送に携わる鈴木幸治さん・元浪江町職労委員長、今井、渡辺、沖縄県東部消協の徳重さん・高知消協の山本さん)
第11G第2チーム報告
6月21日~25日まで、福島県へ復興支援活動に参加した。初めに、今回協議会があったからこそ、このような活動に参加できたことを心から感謝し、協議会は大きな役割を担っているということを強く感じることができた。
私は、福島県浪江町というところでの活動にあたった。作業は主に物資の搬送や箱詰めであり、5日間という短い期間での作業だったが、浪江町のスタッフはこのような作業を数カ月続けている、また、これからも続けていかなければならないということを考えると大変なことであると感じた。その中で、私はいろいろな人達と出会うことができ、その出会った人達の中で私が特に印象に残っている3人の方について書かせていただくこととする。当初報告として何を伝えた方がいいのか考えたが、私の考えだけでなく、様々な立場の人達の考えを伝えたいと思う。
始めに、新潟の全消協の方の話をさせていただきたい。この方は、3月の震災直後から新潟県緊急消防援助隊として活動した方で、その後も何らかのかたちで復興支援をしたいとのことで復興支援活動にも参加したそうだ。この方は阪神大震災も緊急援助隊として活動した経験があるとのことだったが、この東日本大震災は、阪神大震災の規模をはるかに超える災害であると強く語られていた。また、今回の震災では活動が限られており、本当に悔しい思いをしたともおっしゃっていた。2つの災害を経験してきた人の言葉には大変重みがあり、地震と津波、そして原発事故、あらためて震災の大きさを感じることであった。
次に、自治労から支援活動に参加している人の話をさせていただく。この人の作業は災害現場にあった写真や賞状、所持品等を洗浄し乾かして、再び被災者に戻してあげるという作業であった。津波に流されたので、1つ1つの物の状態は悪いのですが、少しでも持ち主の手掛かりとなるものがあれば、きれいに洗浄していたそうだ。特に、写真を洗浄する時は1枚1枚インクが落ちないように洗っていくのだが、人々の思い出として残っている写真がボロボロになっているのをみると、とても辛かったそうだ。この人の言葉で印象に残っているのが、この災害は『戦争』と同じような状態だとおっしゃっていたことだ。たくさんの人が亡くなり、家をなくし、また、原発のために家に帰ることができない状況であり、確かに同じような境遇かもしれないと私も感じることができた。ただ、そのような状況の中から、被災地の体育館に運ばれてくる、写真や賞状、所持品が津波の中から発見されてくるは『奇跡』だね、ともおっしゃっていた。『戦争』の中から『奇跡』を見出す、このような前向きな姿勢がこれからの復興に向けて大切なことかもしれないと感じることができた。
最後にお話しするのは被災者の方のことだ。この方は、津波により家を流され、浪江町に避難してきている方であった。この方は、私たち支援活動のメンバーの送迎バスの運転手さんである。家は津波で流され、また、原発により仕事も出来ない状況の中で、今は役場の依頼で運転手をしているとのことであった。とても前向きな方で『後ろを向いても仕方ない、どうせ生きるなら前を向いて楽しく生きたい』とおっしゃっていたのが印象的であった。受けた被害の度合いは人により違うかもしれませんが、やはりどんな状況でも、前を向いて生きていこうと私自身が教わることができた。また、バスで南相馬市にも連れて行っていただき、現場を見て津波の恐ろしさを感じてもらって、それを伝えて欲しいとおっしゃっていたのが印象的であった。
私が今回感じたことは、津波には立ち向かえないということである。基本は高い所に避難するのだが、高いところといっても建物の5階とかではない。建物は崩壊するので意味がなく、高い丘や山、津波が絶対に来ないところへ逃げないといけないのである。このことだけは教訓として忘れることなく、後世に伝えていかなければならないことの一つであると感じている。
私は、福島で何か出来たことはあるのかと言われるとどう答えていいか分からない。ただ、何事にも変えられない経験と、ものの考え方、生き方を教わったと考えている。今現在、復興中の東北は先が見えない状況が続いているが、被災者の方々には前を向いて生きて欲しいと強く思っている。私達に出来ることは少ないかもしれないが、この震災を風化させることなく、私達は伝えていかなければならないである。
最後に、このような環境を与えて下さった全消協および自治労へ感謝の気持ちを伝えたいと思う。きっと被災地・被災者の方々の力になれたと思うし、それを被災者の方々も感じてくれていると実感している。これから先どうなるのか分からないが、可能であれば復興支援活動を少しでも長く継続できたらいいと願っている。
東部消防職員共済会
徳重昭仁
第12G第1チーム報告
平成23年6月25日から29日の間、福島グリーンパレスをベースキャンプとして、自治労と共に復興支援活動を行いました。
当初、この第1チームは北信ブロックから2名の参加要請がかかっていましたが、富山・石川・福井県には実質的な協議会がなく、我が長野県も14消防本部中4単協と少なく、消防の繁忙期も重なった為か、気持ちのある方もなかなか参加できず、九州ブロックに1名補填していただいての参加となりました。
内容は浪江町の支援物資に関わる配送作業を行うため、郡山市にあるヤマト運輸の倉庫にて、各地から届いた物資の開封をし、あるいは各世帯に配れるよう小分けにし、各世帯用の段ボールを作成し、流れ作業でそのダンボールに詰め込み、発送できるよう準備する…というものでした。
作業にあたったのは、我々全消協と自治労のボランティア・浪江町役場職員・浪江町消防団員・東京電力社員・東北電力社員といった構成で、意図せずして加害者の立場となってしまった人と被害者が同じ空間で作業するという中で、発言することなどに戸惑いがありましたが、日々を過ごす中でこうした環境がある意味では被災者を癒すことに繋がっているのだと感じました。
今回の復興支援活動において、おそらく全消協の多くの方が関わられたことと思いますが、BCから二本松市内にある物資集積所の配送作業を行う事務局まで、連日ボランティアで送迎をしていただいた鈴木さんには、浪江町の様々な話をしていただき、また、ご自身も被災者でありながら、落ち込むこともなくしっかりと前を向き頑張っている姿に、力を貸しに行った私が逆に力をいただいたような気がしました。
最終日には相馬市の被災地を見に行く機会を作っていただき、画面や画像を通して感じるものとは違う、大規模災害の恐ろしさを肌で感じる事ができました。
今回の復興支援活動は本当に有意義なものであり、この機会を作ってくれた全消協・自治労に感謝し、第12グループ・第1チームの活動報告とします。
須坂市消防職員協議会
丸山 浩志
第13G第1チーム報告
第13グループ第1チームとして7月2日17時に福島市に到着。到着後、自治労の支援者と合同でのミーティングが行われた。全消協としては近畿ブロック2名での参加であり、活動内容は自治労静岡県本部の2名と共に郡山市において、浪江町町民の仮設住宅避難者に対する支援物資分類整理を行うというものであった。ミーティング終了後、第12グループの全消協(沖縄、三重)及び自治労長野県本部のメンバーより詳細な活動内容の引継ぎを受け、初日は終了した。
翌朝、7時40分に福島グリーンパレスを出発、二本松市県建設技術学院において、浪江町役場職員の方々と合流し、活動場所である郡山市ヤマト運輸福島物流支店に向かった。道中、浪江町の被災直後や現在の状況を聞く事ができた。津波が黒い壁のように襲いかかり必死の思いで避難し、その後も原発から10キロほどの距離にある浪江町では、家に戻る事もできず、住む家がない状況で知人の家を転々とされている方、家族とバラバラに暮らさざるをえない方もいるということで、何より自身も被災されている中、町民の為に物資の整理を行っている役場の方々の現実を目の当たりにし、少しでも力になれればという思いで活動にあたらせてもらった。活動場所に到着後、午前中は予定通り支援物資の分類整理を行った。具体的な活動内容は、数多くの支援物資を種類が重ならないようダンボールに積め梱包。梱包した支援物資に被災者の宛先ラベルを貼り、地域ごとのキャリアに積むという作業である。中には水やお米が入って重く、継続して作業を行うにはかなりの重労働でありマンパワーの必要性を感じた。午後からは午前中の作業に加え、浪江町が役場の機能を移転している二本松市男女共生センターへ移動し、センターへ届いた支援物資をトラックへ搬入する作業を行い活動を終了した。
翌日からの活動も前日と同様の活動が主であったが、浪江町役場職員の拠点となっている県建設技術学院周辺の除草作業や以前避難所として使用されていた施設から、毛布を回収する作業等も行い、最終日には初日からずっと活動場所まで送迎していただいた鈴木氏の案内のもと津波被災地域である相馬市を視察させていただいた。考えられないガレキの山、陸に船が横倒しになり、家やバスが海に浮かび、新聞やテレビで見ていた光景とはいえ、実際の目で見たものは想像をはるかに凌ぎ、災害のすさまじさを改めて実感した。視察後グリーンパレスに戻り、明日からの活動を行う全消協中国ブロック2名に引継ぎを行い全活動を終えた。
支援活動に参加し、被災された方と直接話をする中で、当たり前のことであるが、こちらの思いだけでなく被災した地域が本当に必要としている事は何なのかをしっかり考えて活動することの重要性をさらに強く感じることができた。全消協の復興支援活動は7月10日で終了したが、自分たちにできる復興支援活動を今後も継続し、少しでも被災された方々の力になれるよう頑張っていきたい。